ダナン ー ホイアン ー フエ ー ホーチミン
15年前にガイドブックを手に入れて以来ずっと訪れたかった地。発展著しいダナン・ランタンの街ホイアン・古都フエ・新旧混沌としている首都ホーチミン。娘にとってはしんどい旅となったかも。
建物や人に未だ残るベトナム戦争の傷跡。今まで訪れた中で一番激しい首都の交通(歩道までバイクが逆走してくるのが当たり前)。エネルギッシュな市場からちょっと歩いただけで高級百貨店があったり、物凄い格差が肌で感じられる都市。
その中で出かけたメコンデルタツアーはちょっとした癒しになったし、そこで素敵な日本人とベトナム人のお姉さんと出会えたのも忘れられない想い出。娘が手を離さないことったら。一緒に夜の街に繰り出して、家族だけでは食べられない種類のベトナム料理もつまめたのも嬉しかった。
そう、噂通り美味しいもので溢れている!物価もまだまだ安いのでリーズナブルに旅出来ます。LCCうまく使えば、飛行機利用の国内旅行よりもトータルで安くなるかも。
全部は書ききれない程の沢山の魅力が詰まった国。行って自分の五感で確かめてほしい!
KTS参加者さまの話を聞いてから絶対に来てみたかった五行山。現地の人はマーブルマウンテンと読んでいた。その名の通り大理石で出来た山。陰陽五行説になぞらえた山たちの総称。今回登ったのは水山。
五行山の洞窟 Dnhg Huyen Khong(ドンフェンコン)ベトナム戦争時にアメリカ軍が空爆した穴から光が差す。
来遠橋=日本人橋 1593年に日本人が架けた橋。
雨季には度々洪水に見舞われるホイアンの街。黄色い年号が記載されたシールの高さまで水が来た。
ホテルのお姉さんと一緒に作った凧を、現地のお兄さんが更に強化。その手際の良さったら!凧は娯楽だけではなく農業や距離の計測など生活に密接した存在。凧が上手に作れるかどうかでモテたりしたみたい。
ホイアンの市場。店じまい。
ランタン祭りで有名なホイアンの夜
灯篭流しも有名なホイアン
ホイアンーフエのスリーピングバス。乗る時に靴を脱いであがる。スピードを出さないせいか揺れは意外と少なく、パーソナルスペースがしっかりしているので私にとっては快適だった。
小さな子供も。タブレットや音の出るゲームで大音量を出していても問題なし。兄弟喧嘩していても問題なし。外国人も現地の人も全く気にせず。日本だったらこうはいかないなぁ。子連れでの移動について、今まで訪れた場所の中では日本が一番胃が痛くなることが多い。
ぼったくりで有名なシクロに乗ってみた。本気で乗るつもりがなかったので断り続けたら破格の値段に。なら乗ろうかと。物凄く渋い顔してた^^; でもそれでも載せたってことは儲けがでたってことでしょう。
古都フエの王宮。戦争で建物は皆破壊された。兵どもが夢の跡。再建が進んでいます。
古都フエの王宮。戦争で建物は皆破壊された。兵どもが夢の跡。再建が進んでいます。
ビキニ姿のCAさんのプロモーションで有名になったベトジェット。噂通りの2時間遅延の後、無事にホーチミンに着陸。
サイゴン大教会。フランス統治の時代に作られたネオ・ゴシック様式の教会。
サイゴン中央郵便局
ホーチミンのロンヴァン水上人形劇場。伝統を守るために演者は全て北部の人。友人に動画を見せてもらって以来、そのシュールな動きに心を奪われていたので見られて大満足。
演奏者が素晴らしいのです。楽器もさりながら、朗々とした唄にしびれた!人形操作の方々は半身水に浸かりながらの作業。20万ドン(≒1000円)とベトナムにしては高価だけれど、見る価値はあり。
おびただしい数のバイク!信号があるのは稀。最大5人乗りを見かける。法律でも大人は2人まで。子どもは制限ないので何人でも可能だそう。学校は送り迎え必須なので、夕方の道路はもうカオス。
今回一番惹かれた家?カフェ? 高層ビル・高級ホテルの谷間の表からは見えない場所は荒れたトタン屋根が広がる。その中でこのスペースは群を抜いて目立っていた。
メコン川流域ミトーの名物料理「象耳魚(カー・タイ・トゥオン)」野菜とともに生春巻きで巻いていただきます。蛋白でおいしー。
メコン川。この小舟でジャングルへ。
ホーチミン市人民委員会(市役所)
ホーチミン市博物館 美しいフレンチコロニアル様式の建物。花嫁さんの姿も。
バインミー♡ヨーロッパで食べる顎が壊れそうなほど硬いパンではなくて、外側カリッ内側フワッとした優しいパン。さきイカみたいなものが入っていてよい出汁に。味付けはベトナム風で、本当に美味しかった。屋台のは猛烈に美味しそうだったけれど、2年連続救急病院送りは避けたかったので。 High Land Coffee
サイゴン大教会の前で鳩に餌付け。日本では出来ないから嬉しそう。高級スーパーで買ったバインミー用のパンを惜しみなく。勿体無い!
戦争証跡博物館。撮影禁止の場所以外ではカメラを右手から離さない私が、そっと鞄にカメラをしまった世界中で唯一の場所。沢田教一がピューリッツァー賞を取った「安全への逃避」。1年後にその家族に写真を届けた笑顔あふれる写真に救われて、やっと撮った一枚。
深夜便で日本へ。朝7時半に羽田着。9時からの用事に間に合うよう猛ダッシュ。バタバタと旅を終えたのでした。